テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 死者への責任 “Responsibility to the dead” (英語字幕版)

番組ID
209934
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年09月22日(火)22:48~22:54
時間(分)
3
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
テレビ新広島(TSS)
製作者
テレビ新広島(TSS)
制作社
テレビ新広島(TSS)、TSSプロダクション
出演者
スタッフ
音楽:岩本貢、プロデューサー:横井利行、ディレクター:清水正義、ディレクター:前田典郎、ディレクター:山下剛史、音響効果:広瀬康詞、カメラ:大原英二、編集:大原英二、企画:吉村美紀
概要
原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆「資料館はほとんど一人の人物、すなわち一人の地質学者がつくったようなものだ」(アメリカの精神科医 ロバート・リフトン氏)。原爆投下の翌日に市内に入った長岡省吾(広島文理科大学・地学科)は、信じがたい光景を目にした。腰かけた石灯篭が溶けていることに驚き、特殊な爆弾だと直感。以来、廃虚となった町に通い詰め、焼けただれた石や瓦を集め続け、バラックで展示し始めた。被爆から10年後、市民の思いが実り、原爆資料館が開館。長岡省吾は、その初代館長に就任。7年間、館長として原爆の恐ろしさを訴え続けた。そして原爆資料館は、年間130万人が訪れる場所となった。(英語字幕版)

同じ年代の公開番組

大江戸事件帖 美味でそうろう〔2・終〕

鋭敏な味覚と秀でた食の知識を持つかわら版屋の新平太が、その「舌」と「知識」を生かし、江戸で起こる不可解な事件の謎を解明していく。二夜連続でおくる痛快娯楽ミステリー時代劇。BS朝日開局15周年記念番組。◆後編。老中・水野忠邦(小野寺昭)による天保の改革は、豪商の懐を豊かにする一方で、娯楽を奪われ緊縮を強いられた庶民にとっては窮屈なことばかり。しかも新平太(北村一輝)の生業であるかわら版までもが禁じられ、幕府への不満は日を追うごとにうっ積していった。さらに、庶民の味方であるはずの町奉行・遠山(中村橋之助)までもが水野の言いなりに…。庶民との距離は、開いていくばかりだった。そんな中、油問屋の大店・備前屋の娘が誘拐される事件が発生する。娘を助け出したい一心から、備前屋は身代金の支払いに応じるが、帰ってきたのは娘ではなく、その遊び相手の千代だけだった。実は、誘拐された娘と、居酒屋の女主人・おろく(若村麻由美)との間には、涙なくして語ることができない深い過去があったのだ。仕事すら手に付かないおろくの様子から、その悲しい過去を知るに至った新平太は、おろくのために一肌脱ぐことを決意する。


swords時代劇tvテレビ番組
語り継ぐ…戦後70年愛媛の記憶

戦後70年という月日は私たちにとって何を意味するのか。その時を生きた人々が語る貴重な証言から考える。みんなのニュースえひめスペシャル。◆「物がない日常の記憶」:太平洋戦争を10代という多感な年頃で過ごした女性たちに、当時のリアルな日々の生活について聞く。そして満足に食べることもままならなかった戦時中の食事を、記憶をたよりに再現してもらう。◆「松山空襲、戦禍の記憶」:1945年7月、愛媛県内最大の空襲となった松山空襲。当時15歳だった中山淳さんは兄弟の手を引いて走り、水田のあぜ道で難を逃れた。この時の米軍の作戦任務報告書には、最大限に破壊効果が得られる爆弾の量や破壊率などが詳細に記載されていた。松山は2時問で焼き尽くされ、中山さん曰く「音さえも燃えた」という。◆「練習台にされた町の記憶」:原爆が投下される直前の1945年7月。愛媛県東部の工業都市・新居浜に2発の模擬・原子爆弾が投下された。米軍はこの模擬原爆を全国49ヵ所に投下し、集めたデータを元に広島・長崎への原爆投下を決行した。◆「物言わぬ爪痕が刻む記憶」:戦闘機や偵察機などの飛行機を敵の空襲から守るために作られた掩体壕。元海軍航空兵の杉野富也さんは、日々死を覚悟しながら戦いの空へと飛び立った一人だ。旧松山基地の掩体壕を「遠い空で死んでいった仲間の墓標として残してもらいたい」と話す。◆「記憶を平和へ語り継ぐ」:愛媛県東部の商業都市・今治市で10歳の時に終戦を迎えた新居田大作さんと、現在「平和学」の授業で戦争について学ぶ大学生・清水里紗さん。二人の交流の中で悲惨な戦災体験が昨日のことのように語られる。時間の限り伝える努力をしたいという新井田さんの話は、清水さんの心境を「想い」から「行動」へと大きく変化させていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 人々に情報を “Infomation for People” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆爆心地から約1kmにあった広島中央放送局(当時・上流川町)は、猛烈な爆風と火災で壊滅した。放送機能は完全に停止し、広島の声は途絶えた。しかし、市内から約5km北にあった祇園町の原放送所は無事だった。。「この惨状をすぐに伝えなければ」と6日夕刻には、傷ついた14名の放送・技術部員が次々と到着、原放送所の臨時放送機器の復旧に取り掛かった。「電波は出ているか、電波を出せ、放送を続けよ」(旧広島中央放送局放送部・間嶋輝夫副部長)。翌7日午前9時には放送を再開。第一声は、不安に届ける「県知事の治安に関する告諭」だった。NHK祇園放送所(当時・原放送所)は今もラジオ放送所が電波を発信し続けている。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 絶望の中に光を “The Light in the Despair” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆中国配電(現・中国電力)の電気設備は、爆心地から半径2km以内で壊滅的打撃を受けた。被爆と同時に停電し、6日は暗黒の一夜だった。翌7日には、三次・可部・呉・竹原・岩国など近郊の電業局から続々と救援隊が到着。生き残った職員は救援隊と共に、半焼けの傾いた電柱を起こし、焼けた電線を張り、連日深夜まで復旧作業にあたった。「一刻も早く不安におののく市民に光を…」(『あの日 あのとき~電力会社の被爆と復興の記録~』)。比較的被害が軽微だった段原変電所を応急修理し、8月7日には焼け残った宇品方面に送電を開始。8月8日には広島駅前一帯と本社社屋に、8月20日には残存家屋の3割に、11月末には残存家屋のすべてに、「希望の光」を灯した。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.