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テレビ番組

どーんと鹿児島 尾木場 ~操さん85歳 棚田と生きる~

番組ID
207669
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放送日時
2012年04月25日(水)19:00~19:54
時間(分)
46
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
ナレーション:美坂理恵
スタッフ
カメラ:江夏豊、音声:男原健太、音声:花北忠明、音声:宮原拓也、美術:椎原紀子、美術:井之上美穂、ディレクター:朝立明子、プロデューサー:有迫貴史
概要
春、一面緑の田んぼで「トラクターの上は最高ですよ」と話す野上操さん85歳。薩摩半島の真ん中、日置市東市来町・尾木場の棚田の田守人だ。標高325mの山の斜面に広がる、4ha60枚の尾木場の棚田。その中でもひときわ目を引くのが、操さんの全長200mもある田んぼ。田打ち、代掻き、田植えに稲刈り、そして秋には200mの長い掛け干しが出来上がる。その曲線は人の手と山の風景がつくる芸術品のようだ。◆尾木場の棚田は、明治時代に野上休右衛門という農夫の手によって開墾が始まった。休右衛門は操さんの祖父・喜次郎の兄にあたる人物。山の湧き水とため池の雨水を頼りに、明治・大正・昭和と時代を経て石を積み上げた棚田は「休右衛門新田」と呼ばれるようになった。山の上の小さな集落の暮らしを支えてきた棚田。先祖が開墾したこの棚田の四季の営みを、操さんは60年以上大切に守り、暮らしている。◆しかし今では、集落の人口は30人、平均年齢は70歳を越えている。ひとり息子に先立たれ跡継ぎの居ない操さんも、山のふもとの病院に入院する妻タミさんの看病をしながらの農作業を続けてきた。戦後まもなく結婚し、山の上で操さんと働き続けてきたタミさん。そんな妻のため、操さんは早朝から棚田の作業、そして午後からは病院へ通う生活を休むことなく続けてきた。そして一昨年の5月、タミさんは帰らぬ人となり…。尾木場の自然に抱かれるように暮らす田守人、野上操さんの日々を見つめた。

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