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メ~テレドキュメント 奪還 「英雄」の妻 佐々木敦子の70年 テレビ番組
番組ID

210429
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放送日

2015.05.25

分数

62

ジャンル

ドキュメンタリー

放送局

名古屋テレビ放送(メ~テレ)

製作者

名古屋テレビ放送(メ~テレ)

制作社

名古屋テレビ放送(メ~テレ)

出演者

語り:柄本明、ナレーション:深津麻弓

スタッフ

撮影:浅井大輔、撮影:高軍、音声:大泉真一、音声:桑原健、編集:世古和弘、編集:藤田憲史、MA:河合亮輔、選曲:堀敦詞、ディレクター:村瀬史憲、プロデューサー:城田達康、制作統括:平岩潤

概要

2015年5月、愛知県体育館で「ピンボン外交記念モニュメント」の除幕式があった。モニュメントに書かれたピンポン外交の説明文に、荘則棟の名前はない。そのことを知った佐々木敦子さんは怒りを露にした。建国間もない中国に夢と希望をもたらした荘則棟と、妻・敦子さんの半生を追ったドキュメンタリー。◆敦子さんは1944年に当時の満州で生まれた。そして、終戦後も獣医だった父親の研究のために家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし、敦子さんは祖国での暮らしに馴染めなかった。そんな時に、名古屋で「世界卓球選手権大会」が開かれた。中国選手が参加することがわかり、敦子さんは名古屋へと向かった。選手のいるホテルを訪ね、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘はのちにスボーツ大臣にまでなったが、中国の指導者、毛沢東が亡くなり、荘は「四人組の協力者」と見なされて4年間監禁され、その後、地方に追放された。敦子さんは荘の境遇を知り、北京で再会。荘を救おうとし、いつしか結婚を望むようになった。しかし当初、中国政府は2人の結婚を認めなかった。やがて結婚が認められて、2人は北京で20年以上幸せに暮らす。そして、2013年に荘則棟がガンで亡くなった。中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。

受賞歴

日本民間放送連盟賞(第63回教養番組優秀)


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