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【インタビュー】  MASTERPIECE「テレビは永遠に青春」

マスターピース 2009.4 No.27

TBSからテレビマンユニオンへと、テレビの草創期から常に番組作りの最前線に立ち続けて来た今野さん。 演出家として、また脚本家として、ドキュメンタリードラマを初めとする様々な新しい手法を生み出してきた。 このたび上梓された「テレビの青春」には、1959年から70年のテレビ局の様子が生き生きと描かれている。 テレビの誕生から50年余。テレビはどう変化してきたのだろうか。そしてどう変化してゆくのだろうか?

今野 勉

こんの つとむ

1936年生まれ。1959年ラジオ東京(現TBS)入社。1970年日本初の制作プロダクションである「テレビマンユニオン」を設立。『欧州から愛をこめて』『海は甦る』『こころの王国 童謡詩人金子みすゞの世界』など数々の名番組を制作。現在はテレビマンユニオン取締役副会長、放送人の会代表幹事。

Q

「テレビの青春」に登場するディレクターは、皆20代と若いのが印象的でした。

テレビというメディアがまだ若かったということでしょう。番組はどんどん増えていくのに人手は足りないし、とりあえず「番組」の形を作れる技量があれば、年齢や経験なんて考えていられなかった。それは同時に、その程度の技量さえあればチャンスが巡ってくるということでもあった。入社するといきなりものすごい量の仕事をやらされるので、覚えるのも早いんですね。ドラマだろうと演芸だろうと時代劇だろうと、ジャンル構わずADをやりましたし。

「前衛」の役割を与えられていたテレビ
大衆文化の作家というのは本来匿名なんですが、当時のディレクターはもともと映画や文学、演劇志望の人が多かった。彼らは「作家」というスタンスで「作品」として番組を作っていたので、結果として番組にも作家性が出ていましたね。
受像機の普及台数はまだ100万台程度で、視聴者と言っても限られた数でした。テレビを持っているのは豊かで文化程度の高い人たちでしたが、彼らに高尚な番組を求められても、そんなわけで経験も人手もなくて作ることができなかった。「電気紙芝居」と呼ばれてね。そんな中で、元々作家性のあるディレクターがたまに前衛的なものをやっても黙認されたという面がありました。「今までとは違うタイプの作品が、テレビのレベルを上げていくかもしれない」と。つまり「前衛」や「異端」というのは一種の可能性だったわけです。「テレビはこういうこともできるんだ」という。

Q

当時の今野さんの演出作では、1967年の『七人の刑事(「ふたりだけの銀座」)』が放送ライブラリーで公開されています。

当時の台本は非常にラフでした。銀座ロケに行っても今日は人通りが少ないとかここに面白い路地があるとか、その場に応じて即興的に撮りましたからカットがすごく生き生きしてますね。今は、どの場面をどう撮るか事前に全部決めて撮影に入りますが、当時はそういうやり方が許されていたし、どうなるか分からないという面白さがあった。「何が起きるか分からない」のは恐怖ではなく、好奇心であり楽しみです。そういうある種の自由度がないと、演出って仕事は面白くないです。 daihon.JPG

今野さん演出回の「七人の刑事」台本(放送ライブラリー蔵)


Q

当時学生たちは「今日の『七刑』は今野さん演出だから見よう」と話していたとか。

『七人の刑事』は学生にものすごく支持されていた。それは、学生の感性を僕も共有していて、知らず知らずのうちに表現していたからだと思います。作っていた僕も学生とは同世代ですからね。それまではドラマ=人情で、それに慣れていた大人は「『七人の刑事』には人情がなくて理解できない」と離れていきましたが、それより遥かに多くの学生がテレビを見るようになった。それまで「電気紙芝居」と馬鹿にしていたテレビをです。共感するテーマが描かれて初めて、彼らも「自分達が見るべき番組ができた」と思ったのでしょう。 映画と比べたら、最初はテレビドラマなんて子供だましみたいなものでしたが、岡本愛彦(TBS)、大山勝美(TBS)、和田勉(NHK)といった先輩たちが、映画とは違うテレビ独自のドラマを次々生み出していったし、「今までのテレビとは違うぞ」と思われ始めていた時期でもあったと思います。

Q

現在のドラマは、演出家よりも脚本家の方がクローズアップされています。

映像的な工夫にはお金がかかるんですが、「喋り」が面白い脚本があればお金をかけずにドラマができる。それがだんだん主流になってきたというのが現在の脚本家重視のテレビドラマです。喋りの面白い脚本が良いとなると、そういう脚本の才能の方が必要とされて、映像の才能がある人はテレビからいなくなっていく。

テレビがもたらした「感覚」の変化
現代の視聴者は、テレビの「間の無さ」に慣らされてしまったと思います。テレビって朝からテンション高いでしょ、最近はNHKまで(笑)。テンションが高くて、テンポが速くてというのに繰り返し接しているとそれに慣らされちゃう。これはテレビがもたらした一種の罪だと思います。
こういった感性や感覚レベルへのテレビの影響力というのは、特に子供に対してすごく大きいと思います。これは番組のテーマとか内容が高尚か下らないかは関係がないです。こういう声や音を赤ん坊の頃から聞かされ続けていると、これが人間のスタンダードだと思ってそれに合わせるし、合わせない人を変だと思うようになる。そういう人間の日常的な感覚にテレビはどう影響しているかを、もっと研究する必要があると思いますね。
大体昔は、子供ってもっとボンヤリしてましたよね。僕は小学校以前の記憶ってほとんどない。四歳の時に秋田から北海道の夕張へ津軽海峡渡って引っ越したんですが、その時の長い船旅も環境が劇変したショックも、何にも覚えてない。気が付いたら炭鉱の長屋にいた、という感じ(笑)。

Q

60年代、人物の前にカメラを据えて、その人が言葉に詰まったり言いよどんだりするのもカットせずすべて流す、という手法のドキュメンタリーがありました。

人やものを「凝視する」ことが、映画ではできないテレビ独自の方法だと考えられていました。でも見る側がそれに息苦しさを感じ始めて、視聴率が落ちていった。視聴率というのは、大衆の意思表示ですからね。
それはつまり、テレビ独自の可能性の模索が頓挫したということなんですが、これは大衆が悪い、制作者が悪いと一概に言い切れないところがある。視聴者は一日中働いて疲れて帰ってきたところでテレビをつけるわけで、そんな時に凝視するカメラに耐えられるかってことですよ(笑)。それをけしからんというのは高級な知識人の言うことであって、普通テレビに求めるのは慰安とか娯楽です。それが大衆文化というものだし、それを馬鹿にしてはいけないと思います。

テレビは「自画像」を描く時期
視聴率というのも難しくて、さっきの「凝視」系の番組は数%の人しか支持しなかった。だったら数十%取る方がいい番組なのかというと必ずしもそうではない。数%しか見なかったけれども、その人の印象に非常に強く残ったりその後の人生に影響を与えたりという番組はある。
そんなわけで、テレビの持っている「大衆文化性」はものすごく困難な問題を抱えている。きちんと考えることは本当はとても難しいのに、例えば「テレビはくだらない」というようにあまりに簡単に結論付けられている気がします。「テレビの可能性」と「視聴者」の問題をどうやって切り結ぶのか。人間の感性や子供への影響力はどうなのか。こういう「総体としてのテレビ」を、色々な方向から考える時期に来ていると思います。50年以上やってきたテレビが自分を省みて、自画像を描く時期だと。それでまた未来像が見えてきます。
僕たち制作者も、気楽な番組ばかり望まれてるんだからそれでいいと思っていてはいけない。僕は僕なりに視聴者に見てほしい番組があって、皆さんお疲れでしょうけど見てください(笑)、と思いますしね。

テレビは「出会い」と「期待」のメディア
テレビの未来像として双方向性だの何だの言われていますが、あんなのインターネットにはかなわないですよ。そうじゃなくて、「予期しないでたまたま見たものに圧倒される」というのが、一方通行のテレビのものすごい利点です。見る方にとっても、テレビはそういう未知のものに出会える「出会いのメディア」です。偶然テレビをつけたらすごく面白いことをやっていた、明日もきっと何かやるぞ、という「期待のメディア」でもある。それを放棄したらダメです。
インターネットで興味のあることを検索するとか気の合う奴を探そうというのは、所詮自分の決めた範囲や想像力の中の出会いであり、検索でしかない。テレビは、そういう個人の思惑を超えたところで出現する。この一方的であり強制的である部分が、テレビの利点であり魅力なんです。

求められる民放のジャーナリズム性
それから、民放は報道機関として認められる存在となるのかという点。今一番民放に問われているのはそこだと思います。日本の娯楽番組のレベルってものすごく高いんですよ。くだらないって言いながらもついみんな見ちゃうっていうのは大変なことで、そういうものを作れる日本の民放はすばらしいと思います。だけどジャーナリズムとしては、毅然としていないというか、ショー化されすぎというか。視聴率は多少低くても、これだけの根性はあるんだってことを見せてほしいですね。報道は放送局としての背骨です。「うちの局は報道機関としてこれで立ってます」という一本筋の入った気合がないと、ジャーナリズムとして疑われても仕方ないし、存在理由が無くなってしまう。「本当は作りたいけど視聴者が求めないから作らない」なんて変な弁明しないで、作りたかったら作ればいいんですよ。

Q

昨年は村木良彦さん(テレビマンユニオン)、吉田直哉さん(NHK)といった気骨ある制作者が相次いで亡くなりました。

吉田さんのような優れた制作者はもうテレビに来なくなっちゃったんじゃないか、という危惧があります。彼は最初から芯が通ってスケールが大きかったし文化人としても優れていた。スケールが大きいというのは人材の問題で、育てて育つようなものではないんです。
50年代は、「テレビは将来面白いメディアになる」と考えたユニークな人材がテレビを志望し、そういう人たちが面白いテレビを作っていったのであって、何も知らない未熟な人たちが恐る恐る作ったものではないと思うんです。
スタッフが通行人の役をやったり撮影用にブログを作ったりというのは小さな事件ですけれども、何人か集まって作っているのに「それは変だ」と声を上げる人がいなかったということでもあります。そういう、人間として考える力が弱い人たちがテレビに入ってきて、しかもそれなりに時間が経っている。そういう意味では、テレビは若い優秀な人材から見放されて、徐々に地盤沈下しているという不安があります。
「視聴率が低くても芯のある番組を作れ」というのは、若い人たちがそういう番組を見て、「テレビにはまだこんな可能性がある。自分も作ってみたい」という気を起こし、テレビの世界に入ってくるという効用もある。視聴者ばっかり相手にしていないで、そういう将来の制作者のことも考えて番組を作っていかないと。視聴者は番組作ってくれませんからね(笑)。

Q

ご自分の中でなぜか愛着があるというか、うまく理由を説明できないけれど大切な作品ってありませんか?

熊本の女性史学者・高群逸枝さんの生涯を描いた「火の国の女(1977年)」。予算もなくゴールデンアワーでもない、たった1時間のドラマで、放送ライブラリーにも入っていないけど(笑)、何十年も経つのにこれが妙に好きで忘れられませんね。慈しみたくなるというか、小さな珠玉のようなというか。渡辺美佐子さんと米倉斉加年さんくらいしか出てこないつつましやかなドラマなんですが、今も渡辺さんたちと話題になるくらい。彼らにとっても忘れがたい余韻を持った作品だったんじゃないでしょうか。

Q

昔は「番組が残らない」のは当然でしたが、制作者として「残したい」と思うことはなかったのでしょうか?

考えもしなかったなあ。それに、テレビってせいぜい「昨日のあれ面白かったね」という程度のもので、それが将来的に語り継がれるに値するもの、後世に残すべき遺産であるという判断はできなかった。それが当時のテレビの「伝統のなさ」だったと思います。映画はどんな新人監督の駄作だって誰も消せなんて言いませんからね。

Q

「残る」ことで、作り手の意識は変わるものでしょうか。

変わると思いますね。どうせ消えていくと思えば、流しておきさえすればいいというその場凌ぎの感覚が生まれる。だからこそ思い切ったことができるという良さもありますが。残すとなると、責任感とか、評価に値するものを作らなければとか、気負って色々考えて自縄自縛に陥ったりね。
とはいえ、その番組自体の文化的な価値とは別に、資料映像として番組が残ることは様々な意味がある。たとえば「昭和三十年代の日本人の顔」というテーマで、当時の日本人がどんな顔をしてたかを色々な番組で見ていくとかね。もちろん当時の制作者は、そんなふうに番組が使われるとは思っていないわけですが。

Q

50〜70年代が「テレビの青春」であったとすると、現在は壮年、老境でしょうか?

かっこいい言い方をしますと、テレビは永遠に青春なんです。老成しようったってそうはいかない。テレビというメディアは、必ずその時代の“現在”と向き合っていないといけない。つまり常に青春なんですね。その時々の人間の感性に合わせて方法やテーマが生み出される。マスコミはみんなそうだと言われるかもしれませんが、テレビは「見た目に映る」という点で特にそうなんじゃないかな。
現実に、ドラマの現場は50代の人って居なくなっちゃうでしょ、偉くなって(笑)。映画で言ったら、50代の監督なんて最も円熟していい作品を撮れる歳なのに、テレビ局は40過ぎるとそろそろプロデューサーとか、現場から離れざるを得ない。
テレビは永遠に青春なので、その青春と付き合える若い人にしか番組は作れない。これは精神的に若いということで、実年齢が若くても老成してたら駄目ですが。現にプロダクションでは、僕みたいな年齢の現役もいるわけだし。

Q

2009年のテレビを一言で表現すると?

それは難題だなあ…「開き直りのテレビ」ですかね。不景気と、インターネットなどに広告費が取られてテレビにお金が入ってこないという状況が同時に発生している中で、各局が「お金のかからない生放送へ」というふうに原点に帰ってきているという感じはしますね。原点帰りというのは要するに開き直りです。「これで駄目になるなら駄目にしてみろ」というような(笑)。それが吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、何が起こるか分からない面白さはあるし、新しい方向へのバネが生まれるかもしれませんね。

(構成/齋藤香子)